令和2年5月20日付日経新聞朝刊に,「ハラスメント保険,急拡大」という見出しの記事が掲載されました。リードは次のとおりです。
職場での嫌がらせ(ハラスメント)に備える保険市場が急拡大している。損害保険大手4社の契約件数は2019年度までの4年間で3.8倍に増え,足下でも好調を保っている。法整備などに伴って企業の経営環境が激変し,経営者のリスクへの認識が高まっていることが背景にある。保険各社はトラブルの多様化に合わせて補償範囲を広げ,飽和状態にある市場の開拓を狙う。
同記事によると,保険会社の2グループ以上が取り扱いを始めた補償の範囲は,2015年時点ではセクハラのみだったところ,2016年にはパワハラが,2017年にはマタハラとケアハラスメント(介護にあたる社員を差別するハラスメント)が加わり,2020年にはモラルハラスメント(同僚間でのハラスメント)も加わったとのことです。
ハラスメントに関する相談はここ数年で右肩上がりに急増しており,ハラスメント問題は,企業が備えるべきリスクとしてますます重要になっています。ハラスメント保険は,ハラスメント問題により企業に生じる金銭的な損失をカバーするものとして,各種ハラスメントの予防措置等と並んで検討すべき備えといえるでしょう。
そこで,本稿では,上記日経新聞の記事の補足も交えて,ハラスメント保険について解説します。
ハラスメント保険とはどのようなものか
上記日経新聞の記事に次のように説明されています。
ハラスメント保険の加入者は企業。ハラスメント行為への適切な対応を怠ったなどとして従業員らから損害賠償を求められた場合,賠償金や裁判費用を賄う保険だ。
パワハラ・セクハラ等のハラスメント行為が民事上の不法行為に当たる場合には,被害者は,加害者である個人に対して損害賠償を請求できます。それだけでなく,会社も,上記「ハラスメント行為への適切な対応を怠ったなど」の場合には,被害者から損害賠償を受ける可能性があります。
詳しく述べると,会社は,社員との労働契約上,社員が良好な環境で労務提供ができるよう配慮する義務を負っているとされており,その一環としてハラスメント行為に適切に対応する義務があります。そのため,会社がこの義務を怠ったことにより社員がハラスメント行為により被害を受けたのであれば,その分の損害を賠償しなさい,ということになります。
また,会社は,事業のために他人を使用する者として,被用者がその事業の執行について第三者に損害を加えた場合にそれを賠償しなければならないという責任(使用者責任)を負っています。会社の被用者である加害者のハラスメント行為が会社の事業の執行について行われた場合には,会社も使用者責任として損害賠償の義務を負うことになります。
上記の職場環境配慮義務違反,使用者責任を主張して会社が損害賠償を求められた場合,被害者に支払う賠償金や,裁判等の紛争解決手続の代理を弁護士に依頼する費用が,保険金で支払われることになります。
パワハラやセクハラ等により被害者が精神疾患に罹患し,後遺症が生じた場合や自殺してしまったような場合には,賠償金は数千万円になることもまれではありません。また,弁護士費用も,高額の賠償を請求された場合や,事案が複雑で裁判が長引くようなケースでは,弁護士との契約次第では相当高額になってしまいます。そのため,ハラスメントを予防するのが第一ですが,万が一訴えられた場合の備えとして,保険があると安心といえるでしょう。
契約時にハラスメント防止体制等が考慮される
上記日経新聞の記事に次のとおり記載があります。
契約時にハラスメントを防ぐ社内の体制や過去の発生件数などを考慮する。
保険料は会社の業種,売上高,従業員数等によって見積もられるようですが,上記の記事は,ハラスメント発生のリスクも考慮に入れて保険料が決まるという趣旨だと思われます。ハラスメントの予防措置を講じることは改正労働施策総合推進法(いわゆるパワハラ防止法)により企業に求められているところですが,保険料の算出にも有利な事情となるようです。
厚労省が示したパワハラ防止法上の措置義務の具体的内容についての指針は,別稿「パワハラ防止の雇用管理上の措置義務に関する指針」をお読み下さい。
加害者本人への賠償請求は補償の対象外
上記日経新聞の記事に次のとおり記載があります。
加害者本人への損害賠償請求は補償せず「保険に加入しているからハラスメントを放置しても構わない」というモラルハザードを防ぐという。
上記のとおり,パワハラやセクハラの被害者は,加害者本人に対して損害賠償を請求することができます。これにより加害者本人が支払う賠償金については,ハラスメント保険により支払いがされないようです。
上記記事のモラルハザード防止の部分は,紙面の都合か,筆者には一読して理解できませんでした。保険加入者である会社からすれば,自身が負う賠償金等については保険金が支払われるため,「ハラスメントを放置」せず,防止に尽力するという動機付けにはならないのではないか,むしろ,加害者本人に保険金が支払われないとすることは,加害者本人の「ハラスメント行為をしても構わない」というモラルハザードの防止に資すると考えられるからです。そうすると,加害者本人は保険加入者ではないため,保険の文脈で使われる「モラルハザード」がしっくりこないことになります。 または,加害者本人も自社の社員であるため,損害賠償金を負担させたくない,と会社が考えるであろうという意味で,会社に「ハラスメントを放置しても構わない」というモラルハザードの防止となるということでしょうか。
いずれにしても,ハラスメントを行った本人は賠償金を負担することになりますので,その意味でもパワハラやセクハラは厳禁である旨,教育・啓発は徹底すべきといえるでしょう。
補償の対象となる被害者の範囲に注意
上記日経新聞の記事に次のとおり記載があります。
各社で差別化を競うのは補償の対象となる被害者の範囲だ。東京海上は従業員だけでなく,顧客へのセクハラも補償するオプションを用意した。三井住友海上と,あいおい損保は19年10月から子会社の社員からの損害賠償請求にも対象を広げた。損保ジャパンはボランティアまで対象とする。
従前の保険商品は,同じ会社の社員が加害者と被害者になる場合を想定していたようです。しかしながら,会社の業務上,社外の人と接触する際には,一定の人間関係が形成される以上,パワハラやセクハラといったハラスメントが発生するリスクは当然あるといえるでしょう。そして,会社の社員がハラスメントの加害者となり,社外の人に被害を及ぼした場合には,上記のとおり,会社も使用者責任を追及され訴えられるおそれがあります。
会社の事業内容によっては,会社内で生じるハラスメント紛争にだけ備えるのでは不十分かもしれませんので,どの範囲の被害者まで保険の対象となるのかは,保険契約の際に考慮すべき重要なポイントといえるでしょう。
まとめ
以上のとおり,会社としては,まずはパワハラやセクハラ等のハラスメントが発生しないよう,社員に教育・啓発等の措置を講じるべきですが,万が一の場合には,賠償金や弁護士費用等,多額の出費が発生してしまいますので,ハラスメント保険の加入もリスクマネジメントの一環として検討したいとこはろです。その際は,保険料と保険金支払額のバランスや,会社の事業内容や規模,想定される被害者の範囲等を考慮し,複数の保険商品を比較して最適なものを選ばれることをお勧めします。